1909年(明治42年)3月、白秋が24歳のときに発表した処女詩集。
明治39年4月から41年末に書いた121の作品を収録しています。
「今後の新しい詩の、基礎となるべきものだ」
白秋と親交のあった歌人・石川啄木は、この詩集を読んで、日記にこう綴っています。
二人は、当時開園したばかりの浅草の遊園地近くで、啄木は白秋の詩人としての成功を、白秋は啄木の就職を、互いに黒ビールで祝い合ったといいます。
1909年(明治42年)3月、白秋が24歳のときに発表した処女詩集。
明治39年4月から41年末に書いた121の作品を収録しています。
「今後の新しい詩の、基礎となるべきものだ」
白秋と親交のあった歌人・石川啄木は、この詩集を読んで、日記にこう綴っています。
二人は、当時開園したばかりの浅草の遊園地近くで、啄木は白秋の詩人としての成功を、白秋は啄木の就職を、互いに黒ビールで祝い合ったといいます。